南朝五十七年を支え続けた伊勢の宮方

後醍醐天皇が比叡山から花山院に入られ吉野へ御遷行された延元元年暮に、北畠親房卿親子は伊勢大神宮の御鎮座地に下向し光明寺月波恵観に「大勝金剛法」の修法を命じました。伊勢神宮外宮・禰宜度会卿、内宮権禰宜荒木田興時親子等、伊勢神宮宮方の重鎮は物心両面に亘り南北朝五十七年を支え続けました。

伊勢光明寺月波恵観に「大勝金剛法」の御祈祷を命じた北畠親房卿の御教書


宗良親王が宮方武将を召集した一之瀬城跡

延元元年秋宗良親王を愛洲太郎左衛門尉は伊勢一之瀬城にお迎えし宗良親王の令旨を以って伊勢・志摩の神宮荘官達を召集し、木本源太左衛門尉、加藤左衛門尉定有、古和法眼寂円等が馳せつけました。

延元二年四月一日、畠山上野介高国を将とする足利の軍勢が北伊勢の工藤氏等を味方にして南伊勢の宮方に襲いかかりました。迎え撃つ伊勢の宮方は、北畠顕信を大将に堀川相掌・棚橋大納言僧都隆経、愛洲左衛門尉、鹿海一福大夫、雅楽入道、加藤定有以下数千騎が田丸城を打って出て、大口浜(櫛田川口)立利縄手(松坂市内)法田の渡し(松坂市内)の方面から攻め入る畠山勢を迎え撃ち櫛田川で喰い止めました。

次いで七月、畠山高国は数千騎を率いて玉丸城を取り囲みました。一之瀬城主愛洲左衛門尉は守りを固め、七月二十二日に岩出、翌二十三に田辺の丘で合戦が行われ玉丸城から打って出た加藤定有は畠山勢の背後に廻り手柄を立てています。


「秋夜長絵詞」 (南北朝合戦図)


神山城跡

宮方は畿内の劣勢の挽回を期する為、奥州での宮方を召集していた北畠顕家と結城宗広に上京せよとの勅書が出ました。延元三年八月、関ヶ原には足利勢の高師冬・細川頼之の軍勢を撃破し伊賀から奈良を経て京へ上がろうとしたが北畠顕家は高師直・師冬の軍勢に敗れ、五月二十二日に和泉の堺で戦死しました。

南朝の柱石の相次ぐ戦死で延元三年九月十二日義良・宗良両親王と北畠親房・顕信父子・結城宗広は捲土重来を期し再挙の地を奥州にもとめ兵船五百艘を催して伊勢の大湊を船出しました。しかし遠州灘で暴風雨で散り散りとなり、義良親王、北畠顕信、結城宗広の船は伊勢に吹き戻され、宗良親王は遠州に、北畠親房は常陸に上陸しました。

伊勢大湊に戻られた義良親王は吉野へ帰られ、翌延元四年八月十五日御歳十二歳で南朝第二代後村上天皇となられました。

延元四年(1339年)八月から興国三年(1341年)八月、足利勢の何度となく繰り返した南伊勢への攻撃は興国三年七月仁木右馬助義長を伊勢守護職に任じ圧倒的軍勢を以って再々度神山城、玉丸城へ攻撃を掛けました。衆寡敵せず延元元年築城以来六年持ちこたえた玉丸城も八月二十八日に陥落となりました。

玉丸城、神山城等伊勢の拠点が相次いで落城後度会家行卿の行動に就いては北朝方神宮禰宜が室町幕府に訴えた訴状である「外宮禰宜目安案」(田中忠三郎氏所蔵文書)に詳しく記述されています。


義良親王下向の図 「神都名勝誌」より

正平二年(1347年)再度度会家行卿とその神人達は天王寺で奮戦する楠正行と東西呼応し同時に挙兵計画を立て山田松原の僧寂恵を正行の許に遣わし十月十五日から廿六日伊勢近津長谷(多気町佐奈)の長谷山に城を築き、南伊勢の所々に軍兵を配しました。明けて正平三年正月五日四条畷で戦死しましたが、北畠氏の一族春日侍従中納言顕晴を大将に全福大夫、雅楽入道、家行卿の孫聟鹿島や山田一揆衆等神人達は兵船五艘を仕立てて伊勢大湊を船出し知多半島の尖端尾張国宮崎の旧址に立てこもりましたが足利方の軍勢に敗れて空しく山田へ逃げ帰っています。正平四年(1349年)以来南北朝の舞台は京都と吉野に移って行きました。正平七年(1352年)正平八年、正平十年、正平十六年の四回、足利勢の内紛に乗じて京都へ攻め上りましたが、何れも一カ月前後で敗れては吉野へ引き返し、その間徐々に足利氏の室町幕府は確立していきました。

今何故太平記か

『北朝は室町幕府が室町幕府の為に足利氏が擁立した』(足利殿ミズカラノ為ニタテ置キマヰラセラレシ所ニテ、マサシキ皇統トモ申ガタザレバー太平記)と云われないように南北朝合併(1392年)となりましたが北朝は武家の為に武家が作ったとする説は江戸時代の儒学者新井白石に依り江戸時代の定説となっていました。『※今谷明氏は最近の学会の現状に就いて「天皇制の解明は戦後歴史学の重要課題であったにもかかわらず、いつしかタブー視される結果となり、研究の空白地帯を招来してしまった。」と嘆いておられます。』

『「建武中興」は日本人がそれからどの方向へどれだけ離れたかを計る格好の日本歴史の最初の灯台なのである。特に「太平記」は以後の各時代がこの書からどの部分をどのような形で引用したかを調べることに依ってその時代がどの方向に動き出したかを知りうる最高の指標となった。』(山本七平・日本の歴史)は至言ではないでしょうか?

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